実践経営学の意義と先進性
会長 平野文彦『実践』という日本語の概念自体が好きである。“行動重視”、あるいは“目標に向かって努力を継続している姿”に真の強さを想うからであろうか。また『学』という概念も同じぐらい好きである。得心するまでの知的な考察と吟味、そして「体系的理解」。問題状況を感知して、その解決のために関連事実を具に観察し、分析する。それが「科学する」ということであり、そこで積み重ねら体系化された知識が「学」である。すっきりした関係性や法則性、そして新たな概念の提示。先達たちが残した成果に敬意とあこがれさえ抱くものである。そして『経営』という概念が好きである。それは、「より大きな未来に向けて、周到な計画と戦略をもとに果敢にリスクを背負い、工夫を重ねて前へ進む」という未来開拓的な行動である。夢やロマンの実現に向かう経営者、従業員、職場・組織体、経営管理。どの世界をとっても人間の総合力が問われているのであって、そのダイナミックさとフレクシブルさと奥の深さがたまらなく魅力的である。
北海道に“食の宝もの”づくりを目指して成果を上げている企業がある。職人と呼ばれる人たちは、素材を提供してくれる自然や動植物、そしてそれ育む大地に対して、「絶対の信頼」と「畏敬の念」と「感謝の心」を持っている。だからこそ職場の中にも、顧客との間にも、そのような本質を共有できる間柄としての「相互の愛情と信頼による関係」を創造している。同時に、手間暇かけた“宝もの”づくりのプロセスを通して、人としての「勘や感覚」を磨き、品質面での最高を目指す「集中心」を高めている。そしてまた新たな「気づき」を得て先に向かうという、“共に学び、共に働く”という姿がそこにある。
生産者側の論理としての、また上辺だけをとらえがちな「能率や生産性」の誘いには惑わされない。顧客の多様性を二の次にするような「標準化」の安易さにも与しない。時計を外してでも、“待って、待って”、程よい熟成を手にしようとする姿勢がある。「新鮮さと味の深み」ゆえに、“こんな素晴らしいものがこの世にあったのか”という「驚きと称賛、笑顔、そして上質な時間」を世に提供できたらという思いからであろう。これらが経営活動そのものとなっているように私には思われた。
しかし実はここで実践されていることのほとんどは、どれも十分には解明されていない。農民作家の山下惣一氏は柳澤桂子の『母なる大地』の『解説』の中でこう言った。「科学の進歩によって現代を生きる私たちは大きな恩恵を享け、じつに多くのことを正しく知ることができるようになりました。まさしく科学万能の時代で科学で解明できないものはないといった時代の風潮ですが、いえいえ、そんなことはありません。科学で解明できるものは、しょせん科学で解明できる程度のものでしかないというのもまた事実なのです。」
確かにそうである。しょせん、捉えられる僅かな範囲で数値化を図り、見渡せない全体にわたる因果関係を説明しようとするような手法では、これだけ複雑で奥の深い経営実践の世界は解き明かせそうにない。価格と価値、市場と顧客、売買と信頼、生産と創造、労働者と社員。確かな理論の構築・改築のためにも、現実をもっともっと丁寧にとらえる必要がある。実践経営学の意義と先進性を大いに楽しんでいこうではありませんか。
実践経営学会会長 平 野 文 彦(日本大学経済学部)
『実践経営研究』創刊号(№1)の発刊に寄せて
実践経営学会会長 平 野 文 彦
(日本大学経済学部)
2009.9.11
これから毎年、実践経営学会全国大会の開催に合わせて『実践経営研究』が刊行されることになりました。長い間の念願でした。
私事にわたるかもしれませんが、本学会の創設者で理事長であられた 故・名東孝二(「たかつぐ」と読みます)先生に直接に、親しくお会いさせていただいたのは、今から30年近くも前、非常勤講師として出講していた東京国際大学(川越)でのことでした。先生はその何年か前に日本大学を定年で退かれてそこに移り、引き続き大学院において研究者を養成されておりました。ある日、愛弟子の吉田信一さん(当時は院生で、現在は富士大学教授、本学会常任理事)から声をかけていただき、先生の研究室へ。先生は私をソファーに誘い、黒ぶちの眼鏡の奥に、相手をとらえて離さないような、鋭くもまた僅かながらも憐憫の情を誘うような眼差しで、ゆっくりとした口調。緊張感も確かに漂っていました。先生は、左の人差し指の先端を右の親指の先で切り取るように、「ご多忙なことは重々に承知しておりますが、その中のこれほどの寸分の時間を、実践経営学会のために割いてはいただけませんか」という、もったいないお言葉をいただいた。まだ30も半ばを過ぎた頃ではなかったか。それ以来、今日まで、他のどの学会に対するよりも「特別な思いとエネルギー」をこの学会に費やしてきたように思います。そして気がつくと、理事、常任理事、副会長などの仕事に間断なく携わり今日に至っていることになりますが、その過程において、私がずっと課題として意識してきたことの一つが、学会機関誌『実践経営』と全国大会における「報告要旨」の双方のレベルアップでした。
振り返れば、会員数がまだまだ少なく、財政的にも十分ではなかった草創期においても、この学会は、名東理事長がリーダシップの下で、時には、ちょっとした表面上の誤解を受けながらも、「実践経営学」という概念をしっかり掲げて、他の経営関連学会とは一線を画する立場の確立に向けて、多くの先輩リーダーが努力を続けてこられました。全国大会が春と秋の年2回開催されてきた時期もありました。先輩諸氏その意欲的な学会運営に頭が下がります。“体裁よりも使命感”といった感じもありました。そのような事情もあって、「学会機関誌」も粗末な体裁の時代が長く続いてきましたし、大会時に作成される『報告レジュメ集』に至っては、報告の全体を示す4~5行程度のものもあったり、大会当日になってもレジュメがない報告があったりで、期待を抱いて後から参加者してきた会員にとっては、いささか残念な思いを抱いたものでした。
そこで『学会機関誌』については10年ほど前から、どこに出しても恥ずかしくない体裁を整えました。しかし、査読制度を持つことが学会として求められるところとなり、実践経営学会ではそのありかた等について検討を進めてきました。これまで査読請求論文については、その都度、学会三役と学会誌編集・刊行委員長が担当となって対応してきたという経緯がありますが、2008年4月からの現執行体制の中で大きく前進させてきました。ただし、専門が多岐にわたるこの学会では専門的に適切な査読者を見つけることにも困難が伴うだけでなく、会員の誰もが学会から他の会員の論文査読を依頼された場合には原則として引き受けていただけるのかどうか、あるいはそれを引き受けていただいた方には何がしかの報酬をお支払いするのかどうか、また査読を求める会員はその費用の幾分かを負担していただけるのかどうか、といったなかなか難しい問題があります。そこで2008年度については、常任理事で学会誌編集委員長をお勤めいただいている水谷内徹也富山大学教授に査読委員長をお引受けいただくとともに、他の学会同様に査読者名を明らかにしない形で進め、『機関誌・実践経営46号』として発刊したしたところであります。今回はその初回ということもあり、また査読を求めない論文も過渡的に掲載したこともあって、掲載論文は前号並みの多数に上りましたが、次号以降につきましては、厳選された査読論文を数篇収録するものへと編集方針を変えております。ご理解のほどお願い申し上げます。(長崎・佐世保大会時における会員総会において承認済み)
これに伴い、全国大会時に作成してきた「報告レジュメ集」を思い切って発展的に解消し、新たに『実践経営研究』として発刊していくことになりました。制度化には長い論議と最初の踏み出しが必要でした。従来型のレジュメ集を「報告論文集」としていくことを常任理事会において確認したのは、もうかれこれ10年近くも前になるかもしれません。しかしながら、その間の役員の交代時での引き継ぎや全国大会の実行委員会への周知が、必ずしも首尾よく進まない状況が続き実現をみないままに時が過ぎました。その間、行きつ戻りつの経過がありましたが、昨年(2008年)の長崎県立大学での大会において、実行委員長をお務めいただいた常任理事の村上則夫教授が、大きく前進させていただきました。それが『第51回全国大会・研究報告論文集』でした。そしてこの機を逃すことなく、全国大会での報告論文を収録した『実践経営研究』を大会時に刊行することを本年(2009)年6月の常任理事会において再確認いたしました。
わが実践経営学会が、現在、内外に掲げているレーゾンデートル(raison d'etre)ともいえるキーワードは、『経営の現場を重視した、理論と実務の調和した実践的研究』です。この背景には、「『経営』(management)の分野においては、理論的研究の進行よりも、『経営の現場』における改革の実践が、はるかにスピーディに、グローバルに、またローカルに、そしてダイナミックに進行しているという事実に着目すべきである」という理解があります。今後の論文査読においては、そのようなわが学会の存在理由を踏まえた制度を充実させていければと考えております。その意味におきましても、本誌『実践経営研究』が名実ともに、実践経営学会会員の多様な研究報告の場として、ますます充実度を増していけますよう会員各位のご理解をお願い申し上げる次第です。






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