「社会の安全保障」という価値観
大震災を経験して実践経営学はどう歩むべきか
実践経営学会会長 平 野 文 彦(日本大学)
会長 平野文彦日本は今年、M9.0という超巨大地震と15mを超える大津波に見舞われた。これによる死者はすでに15,800人を超え、なお約3,400人の行方不明者の中から死者が確認されつつある。海岸から陸地奥深くまで押し寄せる大津波が、家屋や車を押し流し、平穏だった生活空間のすべてを瓦礫に変えて突き進む。敵意をむき出しにしたかのように襲いかかるあのすさまじい光景に、だれしも「自然の脅威と人間の無力」を感じないわけにはいかなかった。誘発された東京電力の原子力発電所の事故による災害を含めた「2011、3.11東日本大震災」は、今後、末長くわれわれの考え方と行動に強大な影響を与えるものとなるだろう。
それにしても、東日本大震災から間もなく10カ月。これまで先進性を自負し、またそれを認められてきているこの国において、被災者の生活再建がまだおぼつかない現実が伝えられる度に苛立ちさえ覚えるものである。この国は多数の科学者(scientist)と優れた技術者(technologist)を擁し、それぞれに高度の研究を推し進めていることは事実である。しかし、それらのすべてを地球社会の安全と存続に向けてリードしていく『哲学』が抜け落ちてきたのではないだろうか。
日本の科学技術の反省を自問する『社会の安全保障』シンポジウム(JST主催)に参加した。われわれこの先も、巨大な自然災害の他にも、さまざまな新興再興感染症、世界の人口増加などによる食糧危機、人間が作り出してきた都市や各種の物的構造物の老朽化による重大事故、そして官庁データや一人ひとりのパソコンに襲いかかる各種のサイバー脅威などによって「命と社会」が危険にさらされているという。それにもかかわらず、「市場主義」や「民主主義」の原理の短絡的な適用、それも方法にも回収率にも問題のある数量的アプローチ。国と地方の便利な責任回避的の関係、そして結局は「国民の自己責任原則」が持ち出されて、問題の本質的な解決策には向かわない。社会もまた「成熟」は「腐朽」に向かわざるを得ないのであろうか。
そこで『社会の安全保障』という概念をあらゆる科学、あらゆる学問の基盤的価値に据えて、「災害原因の撲滅」の意識をあらゆる研究行動に位置づけるべきだと考えたい。これはわれわれの社会科学においてこそ重大な使命といえよう。その場限りで数字を弄ぶような経済分析者(economist)に留まっている暇はないのではないか。常に「全球・完人類」を視野に入れた大きな価値観に立たねばならないと考える。その意味においても、われわれの「実践」という二文字は決して狭くもなければ、持続性の低いものでもない。実践経営学の哲学を再認識していきたいものである。






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